「手でつくること」が医療になり、さらにAIと出会うまで
アーツ&クラフツ運動と作業療法の誕生
「手でつくること」が医療になり、さらにAIと出会うまで
1. はじめに:なぜ今アーツ&クラフツと作業療法とAIなのか
作業療法の歴史をたどると、「手でつくること」が人の健康や尊厳に深く関わってきたことが見えてきます。
19世紀後半から20世紀初頭にかけてのアーツ&クラフツ運動、精神医療改革である道徳療法、そして1917年の作業療法の誕生——これらは、産業革命という”技術の大波”の中で、「人間が人間らしく働き、つくり、生きるとはどういうことか」を問い直した歴史です。
そして21世紀の今、私たちはAIやデジタル技術なしでは語れない医療・リハビリの時代にいます。このとき、アーツ&クラフツ的な「手仕事の価値観」と、AIというテクノロジーは対立するのでしょうか。それとも補完し合うのでしょうか。
本記事で整理すること
- アーツ&クラフツ運動と作業療法誕生の歴史的背景
- 道徳療法と「作業」への注目
- 1917年の作業療法創設とクラフトの役割
- AI時代における「つくること」と作業療法の可能性
歴史タイムライン:アーツ&クラフツからAI時代まで
2. アーツ&クラフツ運動とは何か:産業革命へのカウンターとしての「手仕事」
ウィリアム・モリス(1834-1896)
アーツ&クラフツ運動の中心人物
パブリック・ドメイン, Wikimedia Commons
アーツ&クラフツ運動(Arts and Crafts Movement)は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イギリスから欧米へ広がった芸術・社会運動です。
主なポイント
- 背景:産業革命による大量生産・機械化への強い批判
- 中心人物:
- 美術批評家 ジョン・ラスキン(John Ruskin)
- デザイナーで社会主義者でもあった ウィリアム・モリス(William Morris)
- コアな主張:
- デザインと制作を切り離すことは社会的・美的に有害である
- 「自分の手でつくること」は、人間の尊厳と創造性を守る行為である
— ウィリアム・モリス
モリスらはギルドや工房を組織し、手工芸の価値を高めることで、「生活と仕事と美を、もう一度つなぎ直す」ことを目指しました。
この、「手でつくることは人の心身にとって健全である」という価値観が、のちに作業療法の理論と実践に大きな影響を与えることになります。
3. 道徳療法から「作業」への注目:精神医療改革と手工芸
同じ時期、ヨーロッパやアメリカの精神科医療では、道徳療法(Moral Treatment)と呼ばれる改革が進みました。
- 当時の状況:精神障害のある人々は拘束・隔離など、非人道的な扱いを受けていた
- 道徳療法の転換点:
- 人間としての尊厳を重視
- 落ち着いた環境、対話、手作業・家事・農作業などの「作業」に参加することが治療として位置づけられた
重要なポイント
単なる「暇つぶし」ではなく、目的ある活動(occupation)が、精神の安定と自己制御に役立つという観点がすでに見られます。
アーツ&クラフツ運動が「手仕事の価値」を社会的に高め、道徳療法が「作業参加の治療的意味」を示したことで、のちに「作業療法(occupational therapy)」と呼ばれる領域の土台が徐々に形成されていきました。
4. 1917年、作業療法という専門職の誕生とクラフトの役割
Eleanor Clarke Slagle(1871-1942)
「作業療法の母」と呼ばれる創設メンバーの一人
作業療法が正式な専門職として立ち上がるのは1917年です。アメリカ・ニューヨーク州クリフトン・スプリングスで、National Society for the Promotion of Occupational Therapy(NSPOT)が設立されました。
創設メンバーの多様性
- 建築家・アーツ&クラフツ運動のリーダーでもあった George Edward Barton
- 精神科医 William Rush Dunton
- 「作業療法の母」と呼ばれる Eleanor Clarke Slagle
- 看護師 Susan E. Tracy
- アーツ&クラフツ教師の Susan Cox Johnson など
AOTA公式記録より
創設メンバーたちの関心として以下が並列で挙げられています:
- 道徳療法(Moral Treatment)
- メンタルハイジーン運動
- Curative Occupations(治療的な作業活動)
- アーツ&クラフツ運動
これらは職能成立のルーツとして明示的に言及されています。
また、Levine(1987)や他の歴史研究では、なぜOTがarts & craftsを治療手段として用いるようになったのかを、アーツ&クラフツ運動との思想的連続性から分析しています。
5. 20世紀の医療化とクラフトの「揺れ戻し」
20世紀半ば以降、作業療法は医療モデル・科学モデルとの統合を強めていきます。評価法やエビデンスが重視されるようになる一方で、「アートやクラフトは古い」「非科学的ではないか」といった議論も生まれました。
Eleanor Clarke Slagle Lecture(Reed, 1986)などでは:
- arts & crafts
- sanding blocks
- work programs
といったOTの伝統的メディアが、「遺産なのか、それとも時代遅れの荷物なのか」という問いとして提示されています。
実践現場の現実
近年の研究では、作業療法実践の中で表現的アートや一般的なクラフト活動を何らかの形で利用しているOTは多数派(ある調査では78%)と報告されており、学校やメンタルヘルス領域での活用が多いことが示されています。
歴史的な「距離の取り直し」と、実践現場における継続的なニーズが、今も揺れながら共存している状況と言えます。
ここから先は、AI時代の話です
産業革命から約150年。今度はAIという”新しい技術の大波”が来ています。
6. AI時代の「作業」:何が変わってきているのか
現在、医療・リハビリ領域におけるAI活用は、すでにいくつかの方向で進んでいます(以下は実際に研究・実装されている例です):
- 電子カルテ・画像診断・予測モデルなどの診断・予測支援AI
- 歩行データやセンサー情報を解析する運動解析AI・デジタルバイオマーカー
- VR/ARやロボットを組み合わせたデジタルリハビリテーション
- 自然言語処理を用いた記録支援・要約・プラン提案
作業療法の現場でも:
- 評価データの見える化・経時的分析
- 記録業務の効率化(SOAP要約など)
- 在宅環境のモニタリング(センサー+通知)
といった領域でAIの利用が広がりつつあります。
7. アーツ&クラフツの精神とAIの相性
アーツ&クラフツ運動が大事にしたのは、次のような価値観でした:
- 生活と仕事と美をつなぐこと
- 大量生産ではなく、個人の創造性と手仕事の尊厳を守ること
- 「つくるプロセス」自体の意味づけ
一見すると、「手仕事」と「AI・デジタル」は真逆に見えますが、視点を変えると相性の良い点もあります。
1. AIが”段取り”を支え、OTとクライエントは”つくる時間”に集中できる
- 記録のドラフト作成、評価結果の自動集計、目標設定案の候補出しなどをAIがサポート
- OTは、作業の選定・意味づけ・関わり方という「人でしかできない部分」に集中
2. クラフトの設計そのものにAIを活用できる
- 個々の能力・嗜好・家庭環境に応じた作業活動案を、AIに”叩き台”として出させる
- そこにOTの専門性で修正を加え、「その人のストーリーにフィットする作業プログラム」に落とし込む
3. オンライン/デジタルな「つくる場」を広げる
- タブレットを使った創作活動、3Dプリンタによる自助具作成、オンライン上のハンドメイド販売など
- 身体的制約があっても、デジタルを介して「つくる・発信する・役割を持つ」機会をつくりやすい
新しい視点
アーツ&クラフツ的な価値観(生活・美・手仕事・創造性)を守るために、AIをあえて”裏方の工場”として使うという発想もあり得ます。
8. 具体的な活用イメージ:AI × クラフト × 作業療法
ここからは、OT実務の目線での具体イメージです。あくまで現時点で既に技術的に可能・一部実践されているレベルに絞っています。
8-1. 評価・記録の「下ごしらえ」はAIに任せる
- 音声入力で訪問中の情報をメモ → AIがSOAP形式に自動整形
- 反復している評価(TUG、FIM、LSAなど)の経時変化を自動グラフ化
- 生活歴や趣味嗜好をテキストで入力すると、その人に合いそうな作業活動の候補リストをAIが生成
OTは「AIが出した案」をそのまま採用するのではなく、専門家として吟味し、修正し、優先順位を付ける役割を担います。
8-2. 作業活動そのものにデジタルクラフトを組み込む
- タブレット上での塗り絵やイラスト作成、簡易なDTM(音づくり)
- 写真を使った回想法+フォトブックづくり
- 3Dプリンタやレーザーカッターを用いたシンプルな自助具・小物制作(OT側が事前準備)
クラフトの形はアナログでもデジタルでも構いませんが、「患者さん自身がつくり手であること」が維持されているかどうかが、アーツ&クラフツの文脈では重要になります。
8-3. 在宅リハ×センサー×AIで「日常の作業」を見守る
- トイレ滞在時間や夜間の廊下歩行などを、センサー+AIで検知し、変化を可視化
- キッチンでの動作時間や回数から、「料理という作業」の負荷やリスクを把握する
- 単発の評価だけでなく、日常生活の”実際の作業パフォーマンス”に基づき介入を調整
ここでもAIは「監視者」ではなく、「データを整理するアシスタント」であり、最終的な解釈と介入のデザインはOTが担います。
9. 倫理と専門性:「AIに任せてよい部分」と「絶対に任せられない部分」
AI時代において、OTとして意識しておきたいポイントは次の3つです。
1. 判断の最終責任は人にあることを明確にする
- AIが出した評価・提案は「参考意見」であり、最終判断はOT
- プロフェッショナル・ジャッジメントを放棄しない
2. クライエントの「作業アイデンティティ」をAIが決めないようにする
- 「あなたにはこの趣味が向いています」とAIが決めつけるのではなく
- 対話を通じて、本人がやりたい・意味を感じる作業を選び取るプロセスを大事にする
3. データとストーリーの両方を見る
- センサーや記録から得られる定量データ
- 本人の語り・家族の語り・人生史という定性情報
この両者をつなぎ合わせるのが、OTの専門性そのものと言えます。
10. まとめ:AI時代だからこそ「つくること」の意味を問い直す
アーツ&クラフツ運動は、産業革命という”技術の大波”の中で、「人間が人間らしく働くとはどういうことか」を問い直しました。
現代のAI時代も、別の形の”技術の大波”と言えます。だからこそ、作業療法では次のような視点が重要になります:
- AIを恐れて排除するのではなく、人と作業を守るための道具として設計し直すこと
- 「手でつくること」「生活をつくること」の価値を、データと物語の両面から説明できること
- OT自身が、AIと協働しながらも、クライエントとともに作業をデザインする専門職であり続けること
むしろ、「AIに何を任せて、何を人間の手に残すのか」を選び取ることこそ、現代の作業療法士に求められる新しいクラフトワークと言えます。
歴史を踏まえると、「クラフトだから古い」「非科学的だからやめる」といった単純な二分法では捉えきれないことが明らかになります。むしろ、どのような理論枠組み・評価指標のもとで、どのような対象者に、どのようなアウトカムを狙って用いるのかをクリアにしたうえで、「手でつくること」の力を再定義していくことが、今後の作業療法にとって実務的に重要なテーマとなるでしょう。
この記事を読んだあなたへ
歴史は過去の話ではなく、今とこれからをどう生きるかのヒントです。
アーツ&クラフツ運動が19世紀に提起した問い——「機械化・効率化の時代に、人間らしさをどう守るか」——は、AI時代の私たちにも投げかけられています。
作業療法士として、あなたは何を手に残し、何をテクノロジーに託しますか?

